手賀沼ゆかりの文豪を巡る散歩道を歩いてみました

文化人探訪の紹介 手賀沼の史跡
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明治後半から昭和初期の手賀沼周辺は文豪や文化人でにぎわっていました。

嘉納治五郎、柳宗悦、志賀直哉、杉村楚人冠、村川堅固。

まだまだいます!あれ?ご存じないですか?

すごい人たちなんですよ。

彼らの偉業は、今でも語り継がれており、別荘や邸宅跡が現存しています。

今回は手賀沼公園を起点として今も残る史跡を歩いてみましたのでご紹介したいと思います。

手賀沼の絶景に感化された当時の文豪を少しでも感じられると良いのですが。

では、いってみましょう!

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手賀沼を愛した文豪と文化人の史跡巡りコース

今回のコースです。

手賀沼公園⇒ハケの道⇒天神坂⇒三樹荘⇒嘉納治五郎別荘跡

⇒杉村楚人冠庭園⇒杉村楚人冠公園⇒白樺文学館⇒志賀直哉邸

⇒旧村川別荘⇒バーナードリーチ碑⇒手賀沼公園

距離は4kmくらいだと思います。

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手賀沼沿いの旧道を解説!

現在の手賀沼は、都市開発の埋め立てで昔より小さくなっています。

そのため、旧道は手賀沼から数百メートル奥にあります。

今回の旧道は、ハケの道と天神坂。昔の面影を感じる道です。

それ以外は、昭和中期以降の住宅街を通りますので、昔と今のギャップが楽しめます。

ハケの道とは、手賀沼と高台の間にある崖下の小道

手賀沼沿いに、手賀沼ふれあいラインという大きな道路があります。

それよりも数十メートル北側にある細い道がハケの道。

ハケとは、日本の古語で、簡単に言えば崖下の小道のことです。

昔は、ハケの道のすぐそばまで手賀沼があったということです。

現在のハケの道は、アスファルトが敷かれ、車も通れます。

車の擦れ違いは譲り合いが必要な広さですが、道の北側は木が生い茂っています。

昔の名残は十分感じられますよ。

天神坂は石畳の情緒ある坂道

手賀沼公園前交差点の東に、左に入るY路地があります。

その道がハケの道で、この道を50mほど歩いて最初の角が天神坂の入り口です。

え?ここ曲がるの?私道じゃない?と思う程に細い小道です。

少し歩くと石畳の階段があり、情緒と趣のある、木に囲まれた坂道があります。

二人並んだらいっぱいの小道。文豪たちが歩いていたことを思うと感慨深いです。

天神坂紹介画像

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手賀沼にまつわる史跡、別荘、邸宅跡

平成後期から現在までの間に、手賀沼にまつわる史跡や別荘、邸宅跡が整備されました。

1970年代生まれで我孫子で育った方は、今の史跡が綺麗で驚くと思います。

我孫子の方々が手賀沼と街の歴史を大事にしていることが良くわかりますよ。

あんまり書くと、現地で興ざめしてしまうかもしれないので少しずつ紹介します。

三樹荘は、柳宗悦の住居跡。

三樹荘は、天神坂を上る途中の左側にあります。

柳宗悦は、白樺派の作家で、嘉納治五郎の甥です。

「白樺」とは、1900年代初頭の同人誌の名前。

この同人誌によって、この地に文豪達が集まることになります。

柳宗悦は、嘉納治五郎の誘いで、この地に住むことになったそうです。

嘉納治五郎別荘跡の天神山緑地は手賀沼が見える高台

三樹荘を横目に見ながら天神坂を上ったところが天神山緑地。

ここに別荘を構えた嘉納治五郎は、講道館柔道の創始者であることで有名です。

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」。

嘉納治五郎は、このドラマでも重要な役柄でした。

東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長。

また、金栗四三を日本人初のオリンピック出場者として送り出した人です。

埋め立て地がなかった昔は、この場所からすぐに手賀沼ですから、当時は絶景ですね。

今では2020年4月に建立された嘉納治五郎像が手賀沼を眺めています。

嘉納治五郎像が手賀沼を眺める

杉村楚人冠庭園と杉村楚人冠公園

杉村楚人冠庭園は、天神山緑地から10分程歩いたの東北方向にあります。

家屋と庭が現存しており、非常に見応えのある場所です。

木造の家屋には洋間もあり、時代の変わり目を感じます。

杉村楚人冠は朝日新聞の記者で国際ジャーナリストで、小説も書いていました。

関東大震災の後に転居してきたそうで、現在では名門の我孫子ゴルフ倶楽部を作るように提案したり、手賀沼干拓に反対し、観光地として街が発展するように進言したそうです。

彼がいなければ、私も史跡散歩をしていなかったのでしょうね。

杉村楚人冠庭園から西に行った丘の上に杉村楚人冠公園があります。

先ほどの天神山緑地の真東に位置します。

昭和50年代は、細い山道を登って行ったところに東屋と楚人冠の句碑がありました。

現在は更に整備され、句碑はまだあります。

私の背が伸びたからでしょうか。以前より視界が良好な気がします。

天神山に負けず劣らずの景色です。

楚人冠公園外観

白樺文学館で白樺派を学ぶ

白樺文学館は、楚人冠公園のある丘を下り、ハケの道を東へ歩いたところにあります。

先ほど紹介した同人誌「白樺」の初版や、白樺派の文豪達にまつわる資料が見学出来ます。

2020年現在で1000点を超える所蔵品があるそうです。

説明員の方がいれば更に深く学べます。

志賀直哉邸跡地に書斎が出現!

白樺文学館のはす向かいに志賀直哉邸跡地があります。

木に囲まれた涼しげな場所で、ほんの少し高台です。

以前は建物がない敷地でした。現在は、まさに志賀直哉邸。

書斎が再現され、土日に運が良ければ中を見ることが出来ます。

志賀直哉は、白樺派を代表する作家です。

「城の崎にて」「暗夜行路」が有名ではないでしょうか。

志賀直哉、柳宗悦、武者小路実篤。この3名は白樺派として有名です。

旧村川別荘

志賀直哉邸からハケの道を東へ500m強歩いたところにあります。

平成の時代、一度は取り壊しの危機にありました。

しかし、遺族と市民、行政の協力によって、この別荘は守られました。

家主であった村川堅固は、大正時代からこの地に住んでいました。

東京帝国大学(現在の東京大学)で教授をされていたそうです。

嘉納治五郎から巴投げを習ったという逸話があり、大学卒業後に秘書を務めたこともあるほど、嘉納治五郎とは強い絆があったそうです。

嘉納治五郎、杉村楚人冠と共に手賀沼の環境保全を訴えていたそうです。

こちら、年末年始と月曜日は休荘日なのでご注意下さい。

開荘中の午前9時から午後4時までは、ボランティアのガイドさんが詳しく教えて下さいます。

こちらのガイドさん、気遣いの良い方で、この場所に浸りたい方にはそっとしておいてくれます。

バーナードリーチ碑

手賀沼ふれあいラインを手賀沼公園に向けて一気に歩いて戻り、手賀沼公園前信号の一つ手前の信号を少し過ぎたところにバーナードリーチ碑があります。

バーナードリーチの石碑

バーナードリーチはイギリス人で陶芸家。

柳宗悦の邸宅のある三樹荘に窯を作って作品作りに没頭されたそうで、

白樺派の文豪達と仲良しでした。

イギリス人とはいえ、彼はイギリス領の香港生まれ。

事情により日本人である母方の祖父が彼を引き取りました。

これがきっかけで日本で芸術を学ぶことになったそうです。

私、なんとなくバーナードリーチを検索しましたら、見つけてしまいました!

バーナードリーチ作、染付紋章草文注瓶。

2020年10月現在、Yahooショッピングに出品中です。

1914年頃の作品で、なんと!231万円でした!!

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手賀沼ゆかりの文豪を巡る散歩道まとめ

いかがでしょうか。のんびり歩いてみたいと思いませんか?

今回は、手賀沼公園をスタートして、手賀沼公園まで歩いて戻りました。

ちょっと距離があるなあ、と思った方は、バスをご利用下さい。

我孫子高校バス停で降車し、旧村川別荘から散歩をスタート。

今回のルートを逆走するプランになります。

今回紹介した史跡は、Googleマップで表示されています。

迷ったら地図を見ながら歩きましょう。

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