阿川佐和子さん司会の「サワコの朝」
2020年11月21日のゲストは、東山紀之さんでした。
2011年以来の出演で、今回は2回目の出演です。
1回目は東山さんの長女が生まれたばかりだったので、お子さんのことを話していたそうですが、今回は、ジャニー喜多川さんが亡くなって1年。
9歳と7歳の娘さんを持つ東山さんが、1985年のデビューから現在までの35年についてお話しされました。
東山紀之さん、ジャニー喜多川さんとの別れと思い出を語る
ジャニー喜多川さんが亡くなって1年。
ジャニーさんは、立ち上がった瞬間にくも膜下出血で倒れ、その後3週間は意識が戻らずに亡くなりました。
ジャニー喜多川さんのいる病院へ駆け付けた東山さん、病室がわからない
当時、東山さんは、事務所や先輩から連絡を頂き、病院に駆けつけましたが、トップシークレットなので何処にジャニーさんがいるかもわからない。
何とかして病室を見つけたかった東山さんは、警備員さんに声をかけ、病院の偉い人に合わせて欲しいとお願いしました。
ちょうどその時、病院の偉い方が通りかかり、状況を伝えるとジャニーさんの病室へ案内して頂けたそうです。
ジャニー喜多川さん、意識がなくても血圧で意思表示
その日の夜がヤマだと言われていたとき、中居正広さんが来て、ジャニーズ事務所が今まで出した曲を流しました。
すると、ジャニーさんの血圧が戻ってきたのです。
それがきっかけで、ジャニーさんに刺激を与えようということになり、タレントの皆さんによるジャニーさんへの声掛けが始まりました。
ある日、ジャニーズJrの小さい子が見舞いに来たときに、舞台のパンフレットの写真がどれが良いかを見せると、良いものは血圧が上がり、悪いものは血圧が下がるという反応。
タレントが来るたびに血圧が上がったジャニーさん。
血圧で感情を表現されたのかと驚くばかりです。
唯一、堂本光一さんが来たときだけは血圧が下がったというエピソードは、どんなに辛いときでも堂本光一さんの明るい性格が周りをやわらげるような、ジャニーズ内での立ち位置を醸しているようで面白かったです。
この3週間がお別れの挨拶をする期間となったわけですが、亡くなるまでにジャニーズ事務所の全タレントが挨拶出来たことは凄いことだった、と東山さんは言いました。
ジャニー喜多川さんは筒美京平さんに無茶ブリ
筒美京平さんは、「抱きしめてトゥナイト」「君だけに」「仮面舞踏会」などを作った方です。
筒美さんにはボーカルレッスンとレコーディングで数回お会いしたそうで、それ以外は会う機会がなかったそうです。
ジャニー喜多川さんと筒美京平さんは非常に仲が良かったそうで、しょっちゅう無茶ブリをしていたとのこと。
ヒット曲「仮面舞踏会」では、「♪いっそエクスタシー・・・」という大サビがありますが、このフレーズはジャニーさんが後から大サビとして加えた部分。
曲を作っているときに「これだと足りない」といって大サビを加えるように筒美京平さんに頼み、これがアクセントになってヒットしたそうです。
このような売れる曲を作るセンスとひらめきを東山さんは絶賛しています。
ジャニー喜多川さんの人を見る目に驚き!
東山さんは、渋谷のスクランブル交差点の公衆電話でスカウトされ、中学生だった当時はスポーツ刈りだったとのこと。
ジャニーさんは、たまたま公衆電話に向かったようですが、このタイミングで東山さんをスカウトするとは、ものすごい眼力だと思いますね。
しかし、当時の東山さんは全然ジャニーズ事務所に入る気がなく、プロ野球選手か体育の先生のようなスポーツ関係で働きたかったが、とりあえず入所したようです。
東山さんには大嫌いな先輩がいた!
ジャニーズ事務所に入ってから大嫌いな先輩がいて、その方のバックダンサーだけは絶対嫌で練習をさぼっていたそうです。
そんなある日、東山さんは『夜のヒットスタジオ』で、その先輩の後ろで錦織さんと植草さんが笑顔いっぱいで踊っているのを見たそうです。
東山さんは自分がバックダンサーをしていないことに罪悪感を感じていて、そのタイミングでジャニーさんに『YOUやるんならちゃんとやりなよ。やめるんだったらやめればいいし。』と言われ、やることにしたそうです。
「今をちゃんとやろう。」が今の東山さん。
芸能に関してはジャニーさんは凄く厳しかった。
優雅に階段を降なければならないのに、少年隊3人がバラバラに降りてきたときに怒られたそうです。
『YOU達こういうのは芸能のいろはだよ!トシ(田原俊彦)を見てみなよ。階段の歩数まで考えて降りてくるから!』
三人は立ち位置が大事で、少しでもずれるとみているお客さんは振付よりもズレを気にしてしまう。
少しのずれも許されないということを学んだそうです。
見ているお客さんに飽きられないように、番組が変わるたびに振付や演出を変えていったというエピソードは、エンターテイナーとして常にお客様を意識している証と感じました。
毎週日曜日の朝 キャスターを務めて
まる3年間、毎週日曜日に3時半にTV局に入って準備をされています。
ジャニー喜多川さんの教えに沿い、自分の可能性の広がりを確認するために始めたそうで、子供達にもチャレンジしているところを見せることを意識しているそうです。
また、チョコレートッドーナツという舞台も始めて、生放送も休まず頑張るそうです。
7歳と9歳の娘たちはジャニーズ好き?
御自身が15歳になる前に家を出たので、娘さんたちの自立には寛容な様子でした。
娘さんの好きな男の子の話を一緒にしているそうで、娘さんは中島健人さんが好きなようです。
ジャニーズ事務所の今後について
ジャニーズ事務所を今後どうしたいとかは考えておらず、タッキーが引き継いでよかったとのこと。
滝沢さんもジャニーさんのようになりたいと言っていたし、ジャニーさんも跡継ぎに繋ぎたい想いがあったので、しっかり引き継げて良かったと思っているそうです。
記憶の中で今もきらめく曲
東山さんの小学生時代、中学生時代の写真とともに東山さんが印象に残っている曲の紹介がありました。
田原俊彦「抱きしめてトゥナイト」
東山さんがジャニーさんの凄さを感じた1曲。
合宿所のテーブルに歌詞カードがあって、「抱いて・・・」という全て日本語の仮タイトルだった。
「これ、トシの新曲なんだけど、これね、英語を合わせないと今の若い人たちにはダメだと思うんで」と言い、その場で「抱きしめてトゥナイト」という曲名を考えたそうです。
ジャニーさんは「YOU見ててごらんよ、この曲は大ヒットするから」「この曲はあれだよ、トシの代表曲になって一生歌える曲にするから」と明言、その後にあれよあれよという間に売れて大ヒット。ジャニーさんの感覚の鋭さにびっくりしたと東山さんは回顧していました。
美空ひばり「愛燦燦」
あるコラムに和也君(美空ひばりさんのご子息)の記事があり、東京ドームで美空ひばりさんのメモリアルコンサートをセッティングしたのはジャニー喜多川さんだったことを東山さんは知りました。
あるテレビ番組でいろいろな方が出演している中、家の中を走り回って遊んでいた娘たちが「愛燦燦」が始まったとたんにピタッととまって聞き入ったことがあり、心で聴かす歌声にに感動したそうです。
娘たち世代にも伝えたい曲として選んだそうです。
森光子さんとの出会い
デビューの翌年、19歳で出会う。
最初、17歳のとき「NHK加山雄三ショー」で森光子さんが東山君の踊りが好きと言っていたことがきっかけ。
紅白歌合戦初出場のときに審査員をされていた森光子さんに初めてご挨拶をして、舞台の「放浪記」にも招待して頂き、家族のような付き合いが始まったそうです。
当時は東山さんと森光子さんが結婚するのではないか、と噂もありましたが、実際は家族のように仲良くしていたそうです。
東山紀之が大嫌いな先輩は誰!?
東山さんがお話しされた内容からヒントを並べてみました。
・今、その先輩はジャニーズ事務所にいない
・『夜のヒットスタジオ』で東山さんなしで先輩の後ろで錦織さんと植草さんが踊っているのは1980年頃
・嫌いな先輩のバックダンサーは結局最後までやらなかった。
少年隊のメンバーがジャニーズJrの頃は、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤正彦、野村義男)のバックダンサーであったことが有名です。
しかし、田原俊彦さんのことは番組内で尊敬しているとコメントされ、近藤正彦さんはジャニーズ在籍中、野村義男さんはTheGoodbyeというバンドでバックダンサーは必要なし。
たのきんトリオでは無いことが推察されます。
では、誰か?
元ジャニーズでアイドルだった方を調べると、川崎麻世さんとひかる一平さんが浮上しました。
しかし、ひかる一平さんの動画を調べましたら、東山さんらしき人が踊っていいたのです。
そうなりますと、あとは川崎麻世さんが『夜のヒットスタジオ』で東山さんなしで錦織さんと植草さんがダンスしている記録が見つかれば確定なのですが、1980年に川崎麻世さんが出演した記録はありません。
東山紀之「サワコの朝」全内容公開!まとめ
いかがでしたか。
朝早くて番組を見損ねた方も、この記事でだいたいご理解頂けたかと思います。
今回の番組の後、視聴者の方々は『大嫌いだった先輩は誰?!』といって盛り上がっています。
現時点の調査では、川崎麻世さんが考えられるのですが、もしかしたら東山さんが番組内でリップサービスをしたのではないか、とも考えられます。
実際のところは誰なのでしょうね。
東山さんが明言しなかったということは、誰かを特定して欲しくは無いということですから、これ以上の詮索はしない方が良いですね。
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